交通事故加害者 家族の立場から
応用心理カウンセラー 大田房子
大田氏は、飲酒運転事故の加害者の家族の立場から、夫が飲酒運転事故を起こすまでの経緯や、事故後の苦しみについて体験談を語りました。
大田氏の夫は、お酒を飲まなければ無口で真面目な人でしたが、お酒を飲むと人格が変わり、人を殴るなどの暴力沙汰を起こすような酒癖がありました。
大量にお酒をのむので、記憶がなくなってしまい「昨日人を殴ったのだけど事件になっていないだろうか?」と翌朝新聞を確認するような状態でした。そして、お酒のせいで出勤できない日には私に「職場に体調が悪いから休むと連絡してくれ」とウソをつくように頼むことも度々でした。
そのうち勤めていた消防署を退職したため、朝からお酒を飲むようになり、ますます飲酒量が増えていきました。
そんなある日、夫は朝方まで飲酒し、「6時間ほど仮眠したので大丈夫」と車を運転したところ、当時25才の女性をはねる飲酒運転事故を起こしたのです。
事故を起こしたというのに夫は「僕はお酒の匂いがするから君がお見舞いにいってくれ」といって、私が涙を流しながら被害者の方に謝り続ける日々でした。
夫は、アルコール依存症と診断され3か月の入院となりましたが、私たち夫婦は「公務員であった夫がアルコール依存症のはずがない」と1か月入院しただけで病院を出てしまったのです。
しかし、1か月もしない間に夫はお酒を口にするようになりました。被害者のお見舞いにもいかず、体を壊しては内科に入院し、元気になったらまたお酒を飲むといったことの繰り返しだったのです。やがて、夫はアルコールによる離脱症状に苦しみ、人間性すら失うようになってしまったのです。
私はといえば被害者の方への補償のために金策に走る日々で、身も心もボロボロでした。
そんなある日、夫から「病院に連れていって欲しい」と言われましたが「また病院にいって元気になって、お酒を飲むのでしょう」と断りました。これまで、職場にウソをついたり、被害者の方に謝罪をしたりといったことは夫の飲酒を私が助けていたことに気づいたのです。
やがて夫は専門病院に自ら助けを求め、断酒会にも参加するようになり、現在も禁酒を継続しています。
私は、2006年に幼い命を奪った福岡での飲酒運転事故を契機に、私達の体験をカミングアウトし、二度とこのような過ちを犯す人がでてこないように、断酒会という自助グループで酒害相談や、アルコール依存症に対する社会的偏見の解消を目指しています。
またASK(アスク)飲酒運転防止インストラクターとして、「アルコール教育と節酒の指導」「依存症の早期発見と回復を支援する体制づくり」のネットワーク構築に取り組んでいます。